中学生の頃、私は国語の先生と、ひとつの漢字をめぐって対立しました。「正しい」はずの表記を、どうしても書きたくなかったのです。
あのとき守ろうとしたものが、いまの私の表現の原点になっています。表現の深みは、正しさからは生まれません。あなたの感性、あなたにしか見えていない角度——コピーできない個性からしか、人の心を動かす表現は立ち上がらない。そう確信しています。
この記事の要点
- 表現の価値は「正しさ」では決まらない。事実として正しいだけの言葉は、深みも奥行きも持てない。
- 高村光太郎が古い表記をあえて選んだように、優れた表現には必ず「意図」がある。その意図こそ、コピーできない属人性になる。
- 自分の感性を信じて表現を貫くことが、影響される側から、影響を与える側——源流へと移っていく第一歩になる。
目次
14歳の私が、国語教師と対立した話
中学時代、夏休みに遊び呆けて先延ばしにしていた読書感想文の宿題。時間がないから苦肉の策で親の書棚にあった高村光太郎の詩集『智恵子抄』で書いて提出したら、なんと当選してしまった。
ところが、県に提出する段になって、国語の女性教師から「漢字を直しなさい」と命じられました。「あどけない話」という詩に出てくる「阿多多羅山」を、「安達太良山」に直せ、と。
「高村光太郎があえてこの字を使っているのだから、私は『阿多多羅山』で通したい」と反発しました。でも先生は憤慨して、直すまで県には出さないと言い出したんですね。
当時はインターネットもありません。サクッと調べて自分の意思を裏づけることもできず、私はそこで折れてしまった。
先生は、高村光太郎詩集が古い本だったので、「旧漢字を使っている」と指摘したんです。だから、正式な名称を使え、ということでした。
「阿多多羅山」か「安達太良山」か——正しさが、表現を殺すとき
ですが、私が正しかったことが、ずいぶん大人になって知ることになります。光太郎は、あえて万葉集にある古い表記を選んでいたんです。現代の日常的な山名から切り離し、悠久の自然や土着の生命力を詩のなかに呼び込む「意図」があったのです。
また、妻・智恵子が狂気の中で恋い焦がれた故郷の象徴がこの山で、土のにおいや素朴な郷里の記憶を呼び起こすための意図があり、あえて「阿多多羅山」と表記したんですね。
地図の上では「安達太良山」が正しい。でも、詩の世界では「阿多多羅山」でなければならなかった。地理的な名称として正しいかどうかなんて、表現者にとっては本質ではない。むしろ、正しさに寄せた瞬間に、詩は死んでしまう。
詩の表現として、表現者が色んな想いや意図を込めている。それを「正しさ」で修正するのは愚の骨頂。深みや余韻が失われてしまいます。
あのとき、突っぱねて「阿多多羅山」を固持しなかった自分が悔やまれます。
表現とは、「正しさ」ではなく「意図」である
情報を正確に並べることと、人の心を動かすことは、まったく別の営みです。
正しい情報は、AIでも出せる時代になりました。検索すれば、誰でも同じ答えにたどり着く。だからこそ、価値はもう「正しさ」の側にはありません。同じ事実を前にして、どの角度から光を当てるか——その選択にこそ、あなたという人が表れます。
言葉の選び方、間の取り方、何を語り何を語らないか。表現とは、そうした無数の「意図」の積み重ねです。私はそれを HELDERS™ という体系で扱っていますが、根っこにあるのはいつもこの一点。正しさではなく、意図が人を動かす、ということです。
あなたの感性は、あなただけの角度から生まれる
「雨」という言葉ひとつ取っても、感じ方は人それぞれです。
「雨か、嫌だな」と感じる人。「雨だな」と、ただ事実として受け取る人。「お気に入りの傘がさせる」と弾む人。「家で雨音を聴くのは心地いい」と沈む人。同じ雨に、これだけの世界がある。
日本では、梅雨のジメジメや、どんよりした暗さを連想して、子どもの名前に「雨」を使わない親が多いそうです。でも「雨降って地固まる」という諺もあるし、中国では名前によく使われる。坂本龍一さんの娘さんは「美雨」。龍一さんには、雨を「美しい」と感じる感性があったのでしょう。
大切なのは、一般論に寄せていくことではありません。まず、あなたはどう感じるのか。感性を磨くとは、自分をまず知ることなのです。そしてその感性こそが、コピーできないあなたの表現になり、あなたが選ばれる理由になっていきます。
まとめ
正しいだけの言葉は、間違いはしないけれど、人の心は動かせません。
表現の深みは、事実の正確さからではなく、あなたの感性と意図から生まれます。14歳の私が守ろうとしたのは、たぶんそのことでした。自分の感じたものを、他人の「正しさ」で上書きされたくなかった。
自分の感性を信じて、自分の角度から表現する。そのとき、あなたは他人の基準に流される側から、自分の世界で人を動かす側——源流へと、静かに移っていきます。
よくある質問
「正しさ」を大事にするのは、間違いなのですか?
いいえ。正しさは、間違いを防ぐために必要です。ただ、正しいだけでは深みや奥行きは生まれません。正確な情報はAIでも出せる時代です。人の心を動かすのは、同じ事実にどの角度から光を当てるかという「意図」——つまり、あなたの感性です。
感性を磨くには、何から始めればいいですか?
一般論や他人の評価に寄せる前に、「自分はどう感じるか」を確かめることからです。「雨」ひとつをどう感じるか。感性を磨くとは、新しい知識を足すことではなく、自分をまず知ることです。逆の視点から眺めてみる練習も、感じ方の幅を広げてくれます。
自分の表現を貫くと、わがままだと思われませんか?
思われることもあります。14歳の私も、相当生意気に見えていたはずです。でも、他人の「正しさ」に自分の感じたものを明け渡し続けると、表現から意図が消え、誰の心も動かせなくなります。貫くことと、独りよがりは違います。自分の感性を信じることは、わがままではなく、表現者としての矜持です。
コピーできない表現は、どうすれば身につきますか?
外から借りた言葉を上手に並べることではなく、自分の感性と意図を言葉にのせることからです。何を美しいと感じ、何に反発するのか。その一次情報こそが、あなたにしか出せない表現の源になります。その具体的な磨き方は、無料動画レクチャーでもお伝えしています。


