「私はコレが好き」と発信しても、以前ほど響かない。共感される発信をしたいのに、どうも空回りしてしまう——そう感じたことは、ありませんか。この記事のテーマは、「抽象度を上げる」こと。その一点です。
昭和や平成のはじめなら、「昨日のドラマ観た?」の一言で、教室じゅうが盛り上がりました。情報源がテレビと新聞くらいしかなく、みんなが同じものを見ていたからです。ところが今は、多様性の時代。音楽も、趣味も、価値観も、細かく枝分かれしています。「これが好き」と言っても、「わー、私も!」と返ってくることは、めっきり減りました。
ふうん、そうなんだ——。 その一言で、会話が静かに閉じていく。
ブランディングにおいて「共感を創る」ことは、いちばん重要なファクターのひとつです。でも、その共感創造そのものが、いま、かつてなく難しくなっている。この記事では、その壁をどう越えて共感される発信をするのか——「抽象度を上げる」という表現戦略について、お話しします。
この記事の要点
- 多様性の時代、「好き」の共有だけでは共感は生まれにくい。
- カギは「抽象度を上げる」こと——愛・勇気・癒し・感動といった、普遍的な感情を語る。
- 「知らせる(A to Z)」より「感じさせて動かす(物語)」。それは感性まかせではなく、設計できる。
目次
なぜ、共感される発信が難しくなったのか
理由は、あなたの発信が下手になったからではありません。時代の構造が変わったからです。
情報が溢れ、価値観が分散した結果、私たちは「共通の話題」を持ちにくくなりました。さらに厄介なのは、多様性という耳ざわりのいい言葉の裏で、むしろ表現が窮屈になっていることです。
コンプライアンス、コンプライアンス。 少し自分の考えを口にしただけで、「不適切だ」と切り取られる。ある俳優が、たった一つの発言で降板に追い込まれる——そんなニュースを見るたびに、「どう受け取られるか」に怯えなければ、自分の身を守れない空気が、確かにあります。
多様性なら、みんなそれぞれでいいはず。 なのに、なぜ「自分らしく」という言葉が、これほど多くの人の胸に刺さるのでしょう。
それはきっと、「多様性」という言葉だけが独り歩きし、実際にはガチガチのルールと同調圧力の中に、私たちが閉じ込められているからです。自分らしく生きられない世の中だからこそ、「自分らしく」に、人は焦がれる。バブルの頃、誰もがイケイケだった時代に「自分らしく」が流行らなかったのも、同じ理屈です。
選択肢が多すぎて、迷う。 こっちを選んだけれど、本当に正解だったのか。 別の道を選んでいたら、どうなっていたのか。
だからこそ人は今、羅針盤を——北極星のようなものを、探しています。
答えは「抽象度を上げる」こと
では、どうするか。 ひとつの答えが、抽象度を上げることです。
共通の話題が見つけにくく、価値観を語ればハラスメントと呼ばれかねない。そんな時代に選ばれるためには、何世紀にもわたって変わらない、普遍的なものを語り続けること。
それは、たとえば—— 愛。平和。癒し。勇気。挑戦。 逆側から言えば—— 悲しみ。怒り。やるせなさ。孤独。焦り。
ポジティブも、ネガティブも、どちらも、人間の本能が求めているものです。生きている限り、誰もが持ち得る感情。だから、普遍なのです。
映画も、まさにこの原則で作られています。 「ビジネスで成功するためのA to Z」という映画を、人はわざわざ観ません。けれど「どん底から這い上がり、逆転して、幸せを掴んだ女の物語」なら、観るのです。
人が本能で求めているのは、共感であり、救いであり、愛であり、感動。 心を動かされた人が、あなたを選ぶ。 この一点は、どんなに時代が変わっても、揺らぎません。
「知らせる」のではなく「感じさせる」——A to Zを越える
ここが、多くの発信がつまずくポイントです。
ハウツーを淡々と映像化したものを観て、あなたは感動するでしょうか。しませんよね。
心が動くのは、こういう問いが立ち上がるときです。 「この主人公は、どうやって這い上がったんだろう」 「挫折したとき、どんな心境だったんだろう」 「どんな出会いで、人生が変わったんだろう」
美しくて格好いい主人公が、失恋して、ズタボロになって、オイオイ泣いて、涙とマスカラでぐちゃぐちゃになって、「私の人生、もうおしまい」と嘆く。だからこそ、私たちは惹き込まれる。
A to Zは、「やり方を知る」——つまり、知識を得るだけです。 でも「どん底から這い上がった物語」は、観客を、感じさせて、動かす。
頭で理解させるより、感じさせて動かすほうが、ずっと高度で、ずっと価値がある。
情報がタダで手に入る時代に、「知らせる」ことの価値は下がりました。これからの発信で問われるのは、どれだけ正確に伝えるかではなく、どれだけ深く感じさせるかです。
表現には「言語」と「非言語」がある
では、普遍的な感情を、どうやって表現するのか。 その表現の仕方にこそ、個性が宿り、共感が生まれます。
表現には、二種類あります。
ひとつは、言語表現。言葉を軸にした表現です。 もうひとつは、非言語表現。存在しているだけで伝わってしまう、自信、迫力、優しさ、真面目さ、朴訥さ、愉快さ——そういった佇まいです。
この両方がそろって初めて、沈黙していても伝わるオーラが生まれます。
そして、ここが本質です。 あなた自身が「本当に」感じていなければ、本物のオーラは放てません。
テクニックだけで着飾った言葉は、どこかで見透かされます。逆に、心の底から感じている人の言葉には、静かな迫力が宿る。共感は、その迫力の余韻として、あとからついてくるのです。
“感性まかせ”で終わらせないために
とはいえ——「感じたことを、そのまま出せばいい」で解決するなら、誰も苦労はしません。
「自分らしく」「思ったことを言えばいい」。 そう言われても、その“自分”をどう表現すればいいのか分からない。多くの人が、ここで立ち止まります。
私が ディーバ・ディレクション でやっているのは、その一歩先です。あなたの個性・感性・過去の物語を、脚本の技術で丁寧に因数分解し、再現性のある“設計”へと翻訳すること。感性を、感性のまま終わらせない。あなたの人生を一本の映画のように構成し、過去の傷さえ「伏線」として回収しながら、世界観として立ち上げていく。
抽象度を上げる、というのは、ふわっと綺麗事を語ることではありません。 普遍的な感情という“大きなテーマ”を、あなただけのエピソードと佇まいで、具体的に、体温を持って描くこと。ここにこそ、あなたにしか出せない個性が立ち上がります。
まとめ
- 多様性の時代、「好き」の共有だけでは共感は生まれにくい。
- だからこそ、普遍的な感情(愛・勇気・癒し・感動、そして悲しみや孤独)を語る=抽象度を上げる。
- 「知らせる(A to Z)」より、「感じさせて動かす(物語)」。
- 表現は言語×非言語。本当に感じている人だけが、本物のオーラを放てる。
“わたし”を出すほど、選ばれる。 その“出し方”は、感性まかせではなく、設計できます。
よくある質問
なぜ「好き」を発信しても、共感されないのですか?
多様性の時代で共通の話題が減り、価値観をそのまま口にすると角が立ちやすいからです。「好き」の表明だけでは、以前のようには響きにくくなっています。
「抽象度を上げる」とは、具体的にどういうことですか?
個別の「好き」ではなく、愛・勇気・癒し・感動・悲しみといった、誰の中にもある普遍的な感情を語ることです。時代が変わっても色あせないテーマなので、多様性の時代でも伝わります。
ノウハウ(A to Z)を発信するのではダメですか?
知識は伝わりますが、心は動きません。人が選ぶのは「感じさせて動かす」物語です。どん底から這い上がる映画に惹き込まれるのと、同じ原理です。
感性がないと、この方法は使えませんか?
いいえ。感性まかせにせず、脚本の技術で個性を因数分解し、再現性のある“設計”に変えられます(ディーバ・ディレクション)。


