マズローの五段階欲求のさらにその先の欲求とは?

今回の記事は、マズローの五段階欲求の上に、さらに第六段階目の欲求があるのではないか、という仮説をFREPPIESブランディングエナジーのYACCOが持論を展開します。(僭越です💦)

YACCO
YACCO

久々に哲学してみました。

第六段階目の欲求!? なんだろう!?

ピー子
ピー子

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個人起業家はマズローの五段階欲求のそれぞれのフェーズで価値観を持っている

以前にも、「売れるものを売れ、好きなことで売るな」という人と「好きなことでビジネスをしよう」という人と二手にはっきり分かれるのは、「マズローの五段階欲求」に基づいた人間の心理からくるものである、という話をさせていただきました。

今回、わたくしYACCOが、「いやいや、第六段階目の欲求があるぞ!」と発見しましたので、ちょっとシェアしていきたいと思います。

まず最初に、マズローの五段階欲求について簡単な復習ですが、

  • 第一段階目=生理的欲求
  • 第二段階目=安全の欲求
  • 第三段階目=社会的欲求
  • 第四段階目=承認の欲求
  • 第五段階目=自己実現の欲求

です。

これらの段階を踏んで、人間の欲求は変化していくというのがマズローの五段階欲求というもので、ビジネスに当てはまると、個人起業家も「どの段階にいるのか」で価値観が変わってくる、というのが私の見解でした。

安全の欲求にいる人は、名声よりもお金が欲しいでしょうし、すでに社会的欲求、承認の欲求も満たされている人は、自己実現をサラに極めていく第五段階へ推移していく。

でも、私はさらにこの上に、「第六段階目の欲求」が存在していることを見つけました。

それは「使命を果たす欲求」です。

YACCO
YACCO

けっこう、核心ついているんじゃないかと。

「使命を果たす欲求」!

ピー子
ピー子

マズローの五段階欲求のさらにその先へ。
使命を果たす欲求とは?

FREPPIES六段階の欲求

マズローの第一段階から第五段階目っていうのは、自分自身の欲を満たすための欲求で、ベクトルが自分自身に向いているんですね。全部自分自身に向いている。

例えば安全な場所に住みたいとか、人から認められたいとか、社会に認められたいとか、名声を浴びたいとか、夢を叶えたいとか、そういう自利の欲求だと思うんですよ。

もちろん自分の欲求を満たすために人間は生きたっていいと思うんですよね。だって動物って基本的には多分そうだと思うから。

だけども、自己実現の欲求まで達成した人っていうのは、心がぽっかり穴が開いちゃうとか、もう自己実現を果たしてしまったら、これからどうしていいかわからないという気持ちになってしまうっていうような、そういったこともあるんじゃないかなって思ったんですよね。

この自己実現の欲求まで行った人っていうのは、夢も叶って、おそらくお金も、自分が求めるだけのものはもう達成してるっていうような状態だから、傍目から見たら、かなり満足度がすごく高い状態なわけなんですよね。

ただし、私の周りの大金持ちの人とかを見ていると、お金があるからイコール幸せということでもないなっていうのを見たりするわけですよね。

例えば、傍目から見たらすごい大金持ちでお金に全然不自由しないから何だってできるだろうにとかって思ったりしているのに、息子さんが鬱になってしまったとかね、そういうことを見聞きするので、お金イコール幸せっていうわけではないだなっていうことは感じるわけですね。

それから宝くじが当たった場合に、破産してしまうとか人生がボロボロになってしまうとよく聞く話ですよね。

だからそうならないように宝くじが当たった人専用のマニュアルというか教本というものが配られるみたいなね、そんな話も聞いたことあると思うんですよね。

なので決してお金があるから幸せではないと。

つまり自己実現の欲求を満たした段階、第5段階目で幸せではあるかどうかはわからないってことなんですよね。

じゃあその後、人間のこの欲求ってのはどう変わっていくのかなと思ったんですよ。

そこまで行った場合は人間でどうなるのかなと思ったときに、これはそれまで向いていた自分へのベクトルが純粋に外に向けることができるようになるんじゃないかなって私は思ってるんですね。

自分の生きる目的・使命みたいなものに目覚め始めるのがこの段階

例えば全く見返りを求めないボランティアであるとか、自分は何のために生まれてきたのか、そういったことを考えて自分の生きる目的というか使命みたいなものに目覚め始めるとか、そんなフェーズに入るんじゃないかなと思うんですよ。

今、安全の欲求の立場にいる人が、私は何のために生まれてきたんだろうかって自分の生まれた意味に悩むっていうことはあるかもしれないんだけども、まだ辛い渦中にあって答えを見いだせていない段階だと思います。

「私はなんでこんな辛い思いをするんだろう」「なんで私はこの人生を生きてるんだろう」ってモヤモヤしている。
まだ他人をサポートできる段階じゃないですよね。

でも、その第5段階の自己実現の欲求まで登り詰めた人っていうのは、ある意味悟りを開いてるというか、いろんな行動とかいろんな思考をしてきて、自分なりの答えとか回答がちょっと見えてきてる段階なんじゃないかなって思うんですね。

この段階になるとどうなるかというと、「自分の使命を果たしたい」って思う欲求に入っていくんじゃないかなっていうのが私の持論なんです。

もうそこまでいくと、生活は安定している、お金も稼いでいるし、もう十分に稼いでいるから、それ以上稼ごうっていうほどの気持ちはない。

じゃあどうなるかって言ったら、幸福とか愛とか、目に見えないものが欲しい、と思うようになる。

物理的な所有欲を満たしたら、次は目に見えないものを求めるようになる

FREPPIES六段階の欲求

もう住む家もあって、安定した収入もあって、そこそこ自分の趣味もできていて、欲しいものはほぼ手に入れてるっていう状態の場合、次に何を求めるかって言ったら、目に見えないものなんじゃないかなって思うんですね。

つまり幸福とか愛とか、そういったもの、それも例えば身近な人との愛だけではなくて、もっと広い意味での愛みたいなものを欲しいというか、人に与えて自分も満たされたい、そういった境地に入っていくんじゃないかと。

第5段階まで行った人しか見えない次のフェーズなんじゃないかなっていうのが、私の持論なんですよね。

それはですね、世界の大富豪って言われてる人たちに共通していることなんだけれども、大富豪の人たちって寄付とかボランティアとか積極的にされてるんですよね。

それはお金持ちになる法則の一つと聞いたことがあります。

誰かに寄付するとか、困っている人に寄付するとか、そういったことでお金の循環を回していく。

天使ちゃん(私の大家さん)はこのフェーズの人です。

私がコロナに罹患したとき、10日間の外出禁止中に朝昼晩の毎日3回、家のドア前に食事を届けてくれました。
毎回恐縮するような内容で、前菜からフルーツまで!

あとですべてお支払いしようと伺いましたが、「お互いさまだから。僕がかかったときは、さとちゃんよろしくね!」と笑顔で言ってくれたときは、本当に天使か!と思いました。

こういうこと、安全の欲求にいる人とか、社会的欲求とか、承認欲求があるという段階では、なかなかできないと思うんです。
(承認欲求は、見返りを求めている段階だと私は考えています。)

というのは、まだ自分が完全に満たされていないっていう状態だからだと思うんですよ。

自分が満たされていないとか、自分の生活がまだ安定していないのに寄付なんてできないわけですよね、多くの人は。

それよりもやっぱり自分の来月の生活費っていう方が優先しなくちゃいけないことなわけですよね。

ですからこれは第5段階目まで行った人じゃないと次のフェーズに行かないのかなあっていうふうに思うわけです。

すごい納得します!

ピー子
ピー子

第六段階の「使命を果たす欲求」のフェーズに入る人

この第6段階目の「使命を果たす欲求」は第5段階目を経た人であるんだけれども、さらにもう一つ私が気づいたことは、自分の人生を振り返ってみてちょっと変わった経験をしている人たちが多いということです。

これは起業家さんたちのプロフィールとかストーリーを見るとある一定の共通点ががあったのでわかったことなんです。

その一定の共通点というのは何かっていうと、2つありまして、
ひとつは、「自分の使命が明確に表現できている人たちである」ということ。

そして二つ目の共通点っていうのは何かっていうと過去に非常に辛い過去、ちょっと普通では経験していないような過去があるっていうような人が多いということです。さらに付け加えると、「その辛い過去や境遇を乗り越えてきた人たち」です。

例えば生まれた時から父親がいないとか、親から虐待を受けたとか、父親がアルコール中毒だとか。

結構社会的にはすごく暗いてダークな経験を経てきている人が多い。

でこれはどうしてかなって仮説を立ててみました。

激動の人生の中で使命感を持たざるを得なかった人たち

FREPPIES六段階の欲求

過去に辛い経験があり、かつ自分のビジネスや人生の使命がはっきりとしている、という人達は、すでに「安全の欲求」や「承認の欲求」は経てきているんです。

なぜ自分の人生にそれが起きたのか、ということを客観視できていて、その答えを自分の中で見出しているんじゃないかと。

「私の使命はこれです」とモヤモヤとした霧のようなものはすでにスカッと晴れていて、腹落ちしている。

だから、ストーリーを語るときに毎回感極まって泣いたりしない(笑)。
(毎回泣くのって、聞いてる方は白けている、ということに気が付いて欲しい💦)

ある意味、自分に起きたことを客観視、達観できているから、淡々と事実を語れるんですね。
だから、自分の語ることがいつも一定して、一貫している。

胡散臭さとか嘘っぽさを感じないわけです。

使命感」なんて私にはない、という人もこの仮説だとしっくりくる。

一方で、起業家さんの中には

「使命ってなんか大げさすぎて私はそんなものわかりません」

っていう人たちがいます。

これは、仕方がないと思うんですよね。なぜならば平凡に幸せに暮らしてきた人っていうのは、「使命」というほどの重々しいものを感じることがなかった、というのはある意味正しいと思います。

人の人生には、それぞれの目的があると思うからです。

「使命」はまだわからないという人へ

FREPPIES六段階の欲求

ブランディングの観点からいうと、ミッション、ビジョンはとても重要なファクターです。

なぜなら、お客様というのは自利ではなく利他の人を応援したいと思うからです。誰も他人の至福のために財布の紐を緩めようとは思いません。

でも、今肚の底から沸き起こる自分の使命が何かわからない、見つからない、という人が、商品やサービスを売りたいという理由のためだけに無理やりミッション、ビジョンを作っても意味がありません。

なぜなら、自分の本心ではないものは、必ず無意識のうちに言動に現れるからです。

でも、ブランディングでは必要になるので、どうすればいいかというと、「モノ・コト」をブランディングするのと同じ方法でやればいい、ということです。

カタチある商品をブランディングする場合は、その商品のパッケージや色、デザインなどで世界観を表現していくわけですが、同じように、自分を客観的にプロデュースする感じで、自分自身とは分離してブランディングをしていくといいですね。

そして、お客様とのかかわりの中で、自分の果たしたい役割、目的がはっきりとわかってきた時点で、ミッションやビジョンをあらためて言語化してみるといいでしょう。

うーん!奥が深いというか、頭ではわかっていても、いざやってみようと思うと難しいですね!

ピー子
ピー子
YACCO
YACCO

そう。ブランディングはとっても奥が深いのです。

まとめ

FREPPIESブランディングエナジーのYACCOによる「マズローの五段階欲求のその先、第六段階目の欲求」を様々な側面から仮説しながら検証してみました。

いかがだったでしょうか。私的にはかなり「見つけた!」という発見です。

第六段階目の悟りの境地に入れるよう、頑張っていきたいですね。

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